あいさつ

 誕生の背景

1957年(S32) 7月 當間元信が㈱大城組に入社し、建設関連業種に関わりを持つことが泉設計誕生への第一歩となる。入社当時は軍工事全盛期で現場施工管理5年、総務6年、企画開発5年と同社での経験を積む。
  • 大城組時代(軍工事現場)

  • 大城組時代

1963年(S38) 6月 當間卓 与那原町に生まれる
1972年(S47) 2月 日本に復帰する3ヶ月前に泉設計の前身となる㈱アジア建築設計事務所を設立し共同代表に就く。当時は復帰復興のインフラ整備や1973年5月開催の復帰記念沖縄特別国体、1975年7月開催の沖縄海洋博覧会に建設業界は盛況であった。大城組・大城鎌吉社長より、在京の設計事務所の沖縄進出を手助けするよう出向命令が出て、設立と同時に共同代表となった。
1973年(S48) 12月 大城組・アジア設計の二足の草鞋を履くことが困難となり大城組を退職する。
1974年(S49) 5月 元来、建築分野より土木コンサルタント業を目指していたこともあり、㈱大和土木建設コンサルタントを設立、代表となりアジア設計を第三者へ譲る。
1975年(S50) 7月 合資会社泉建築設計事務所開設。アジア設計スタッフらより建築設計事務所を開設するよう強い要望があり、合資会社泉建築設計事務所を創設する。資本金3,500千円。結果、大和土木建設コンサルタントは閉鎖する。
1978年(S53) 3月 与那原東小学校校舎竣工
3月 當間卓 与那原中学校卒業
  • 社員旅行(九州)

1979年(S54) 4月 當間卓 県立豊見城高校入学 野球部入部
  • 當間卓 高校野球時代

1982年(S57) 3月 豊見城市中央公民館竣工
3月 當間卓 県立豊見城高校卒業 東京にて大学受験のため浪人
1983年(S58) 3月 當間卓 日本大学理工学部建築学科入学
  • 大学時代

1984年(S59) 3月 豊見城市社会福祉センター竣工
1985年(S60) 7月 創立10周年
1986年(S61) 3月 伊良波中学校校舎竣工
5月 株式会社泉建築設計事務所に改組。資本金10,000千円に増資
1987年(S62) 3月 沖縄県教育センター竣工
3月 与那原町社会福祉センター竣工
3月 當間卓 日本大学理工学部建築学科 卒業
卒業設計の最優秀賞「桜建賞」受賞
  • 卒業設計プレゼンテーション(桜建賞)

  • フィレンツェ旧市街を望む

  • ウィーンにて

1988年(S63) 3月 玉城中学校校舎竣工
3月 西原東中学校校舎竣工
1989年(H1) 3月 當間卓 日本大学大学院理工学研究科建築学専攻修了(修士)
修士設計の最優秀賞「駿建賞」受賞
  • 大学院時代

  • 大学院研究室

4月 當間卓 ㈱前川國男建築設計事務所 入所
  • ニューヨークにて

  • 恩師・村松正治先生と

  • 前川事務所時代

1990年(H2) 7月 創立15周年
  • 忘年会

 新しい潮流

1992年(H4) 5月 沖縄県立武道館公開設計競技「優秀賞」受賞。
沖縄県内で久しぶりの大型コンペが実施された。審査委員長は全国的なコンペ審査の大家である日本大学理工学部教授近江栄氏。當間卓は在京の設計事務所で修行中であったが、合間を縫ってコンペ案を全てまとめ初めてのコンペ入賞を果たした。
1994年(H6) 8月 當間卓 泉設計に入社。
 建築家・前川國男事務所の元で5年半の修行を終えて帰沖。前川事務所では岡山県庁増築、横浜市立図書館、国立西洋美術館21世紀ギャラリー、設計コンペなどを担当した。當間元信60歳の年
1995年(H7) 5月 与那原コミュニティーセンター設計に着手。沖縄に帰ってきて初めての公共施設の設計となる。生まれ故郷の施設とあって多くの検討案、模型をつくり気合を入れて取組む。
1996年(H8)4月竣工
管理技術者:當間卓
7月 創立20周年
  • 創立20周年記念忘年会

1996年(H8) 4月 當間卓 常務取締役就任。
弊社で最大の規模となる沖縄県工業技術センター基本設計を受注。各県唯一の公共研究施設として、県外の類似施設を多数視察した。先進県であり、修行時代にお世話になった岡山県庁の宇那木氏には様々なご協力を頂き、設計に反映することができた。
  • 沖縄県工業技術センター
    工事製品検査のため長野へ

  • 工業技術センター起工式

  • 工業技術センター落成式

4月 沖縄国際大学新図書館指名設計競技「最優秀賞」受賞。
日本設計と初めて共同企業体を組んで参加したコンペ。卓が数回東京を行き来してコンペ案を作成した。実施設計時には担当者が2ヶ月間日本設計東京本社に詰めて参加した。
  • 沖縄国際大学新図書館落成式

6月 沖縄県立現代美術館・博物館公開設計競技「佳作」受賞。
日本設計と共同企業体を組んで取組んだもので、卓が2ヶ月間日本設計東京本社に常駐しコンペ案を作成した。
8月 沖縄国際大学新図書館の設計に着手。設計期間中は担当者が日本設計(東京本社)に出向して、設計に参画した。監理においては、弊社担当者が常駐監理、日本設計が要点監理という組織体制で行い、大手設計事務所の業務遂行力の高さを学び、以降の設計業務に大きな影響を与えた現場であった。
1998年(H10)3月竣工
管理技術者:日本設計 主任技術者:玉城盛光
1997年(H9) 5月 与那原中学校屋内運動場・プール設計に着手。出身校の施設とあって今までにない新しい施設を模索した。1階にプール、2階にアリーナと武道場を計画するに当たり、プールの無柱空間をつくるアリーナ床はスパン30mのボイドスラブである。
1998年(H10)3月竣工
管理技術者:當間卓
7月 那覇市立さつき小学校基本設計に着手。さつき小学校は金城小学校の分離校として新設された。もともと畑地であったいびつな形状の敷地で校舎、屋外運動施設、幼稚園舎の配置に苦労したが更に中心部の土地が取得できずに強制収用することとなり、配置換えに伴い基本設計のやり直しとなった。厳しい設計条件と期間の中、5ヶ月間毎日夜中までスタッフ全員で取組み代表作のひとつに上げられるほどの作品となった。
1999年(H11)3月竣工
管理技術者:當間卓 主任技術者:照屋邦彦
  • さつき小学校工事
    製品検査のため広島県へ

  • 社員旅行(島根)

1998年(H10) 1月 (社)那覇青年会議所(那覇JC)に入会。2003年卒業までの6年間を満身創痍で務める。大型施設の設計を手掛けながらスタッフの力量もない中での両立は、2年間帰宅が夜中の2時というものであった。後にJCメンバーが営業関係先の中心的な企業となる。
2000年(H12) 7月 創立25周年 周年を機に那覇市壺川に移転。事務所面積拡張。
8月 株式会社泉設計に商号変更
12月 資本金18,000千円に増資
2001年(H13) 1月 (社)那覇青年会議所 総務委員長
6月 沖縄県立沖縄水産高校基本設計に着手。
RC造4階 延床17,700㎡と最も規模の大きな学校施設を手掛ける。 2004年10月までの3年間で一般教室棟・Ⅰ期工事、産振棟・Ⅱ期工事が竣工した。海岸に近く、限られた敷地範囲の中にコンパクトに収めるように要望された。「総合学科制」というホームルームのない新しい教育システムに対応するため、半屋外空間となるゆとりある共有空間が必要であった。屋根のテフロン膜から降り注ぐ柔らかな陽光と心地良い通風のある共有空間は、生徒達の個性を尊重したカリキュラムと融合する。外観はFRPルーバーと再生木のコントラストが洗練された印象を与える。
2003年(H15)9月竣工
管理技術者:當間卓 主任技術者:翁長良武(常駐監理)
2002年(H14) 1月 (社)那覇青年会議所 副理事長
7月 當間卓 代表取締役就任(39歳)、元信(68歳)は会長に退く。
卓は1963年(S38)与那原町生まれ、1987年(S62)日本大学理工学部建築学科卒、1989年(H1)日本大学大学院修士過程修了、同年4月に前川國男建築設計事務所入所。修士課程中に日本建築学会設計競技全国3位入賞など多数。学生時は建築家・谷口吉生事務所、宮脇壇事務所、久米設計でアルバイトしたが前川事務所が4年と最も長く、東京都庁、第二国立劇場、愛知県文化会館のコンペなどに参加した。
2003年(H15) 1月 (社)日本青年会議所沖縄地区協議会 運営専務
  • 日本青年会議所
    沖縄地区協議会

2月 NYデンタルクリニック設計に着手。米国で学んだ歯科医である施主は、「これまでにないオープンなクリニック」をと設計当初より参加。医師の評判もデザインの評判もよく歯科医院激戦区で人気となっているようだ。
2003年(H15)12月竣工
管理技術者:當間卓 担当者:照屋国彦
3月 自社ビル竣工、新築移転。社名の由来でもある那覇市泉崎周辺から出ることを拒んだ会長の意志を尊重し、現在地に土地を求め本社ビルを建設した。この時期のデザインソースであったFRPルーバーに包まれた外観とした。
管理技術者:當間卓 主任技術者:金城雅仁
  • 自社ビル

  • 新社屋引越し

2004年(H16) 1月 シンバネットワーク本社ビル基本設計に着手。34歳の若手社長率いる新進気鋭のグループ企業の本社ビルである。社長自ら設計協議に参加し外観デザインはもとより、インテリアや仕上素材・色彩の選定にも口を出すほどの熱い調整が続いた。逆に設計の決定サイクルが早く、工事着手後も工期の短い中でもトップの思いが染み込んだ建物である。
2005年(H17)8月竣工
管理技術者:當間卓 インテリア:長堂邦彦
6月 那覇市上下水道庁舎の基本設計に着手。那覇中心市街地に近い米軍人住宅地が解放され土地区画整理によって整備された那覇新都心地区に建設された。
2006年(H18)11月竣工
管理技術者:桃原喜一郎  担当者:照屋国彦
2005年(H17) 3月 デューキッズ インターナショナルアカデミー設計着手。英語を中心とした幼児英才教育の学習塾である。先進国である台湾の施設を施主と共に視察し、随所に取り入れた。
2005年(H17)12月竣工
管理技術者:當間卓  担当者:高江洲美幸
カラーコーディネイト:山内暢子
6月 T邸設計に着手。与那原町東浜マリンタウン地区に建つ、家族4人の戸建住宅である。
2006年(H18)4月竣工
管理技術者:當間卓  担当者:高江洲美幸
7月 創立30周年
2006年(H18) 1月 H邸設計に着手。那覇軍港を見下ろす高台に建つ二世帯住宅である。会長の知人であり沖縄でも共に設計に取組んだ猪村氏の紹介であった。H氏は創業した会社の会長職を引退し、1階にご自身の住宅(60坪)、2階に娘家族の住宅(60坪)を建設した。当初は洋風館の要望もあったが、モダンスタイルに落着く。屋外階段の部分が洋風なイメージを残している。
2006年(H18)12月竣工
管理技術者:當間卓 共同設計:猪村彰
4月 ライオンズマリンシティー美浜の設計に着手。外観デザインを特に重要視され、施主へのプレゼンテーションを何度も繰り返された上でデザイン・仕上材・色彩が決定された。
2008年(H20)1月竣工
管理技術者:翁長良武 デザイン監修:當間卓
5月 ASJ登録建築家イベント参加inコンベンションセンター
9月 ㈱PLAT設立
設立参加者は當間卓、桃原喜一郎、シモジマサキ、長堂邦彦あらゆる領域を超えたクリエイティブな活動をめざして、建築家、クリエイター、インテリアデザイナーが集結。
  • PLAT設立準備

2007年(H19) 4月 エールクリエイト㈱との最初の業務となるワイズエステムコート潮平タワー基本設計に着手。永年お付き合いを頂いているエール社と縁を結んだ記念すべき最初の第一歩。(株)日商エステムとの共同事業であった。
2009年(H21)1月竣工
管理技術者:桃原喜一郎
7月 与那原中学校改築工事基本設計に着手。母校校舎の全面改築ということもあって、思いの残る設計であった。ちょうど耐震偽造・姉歯事件の直後の建築確認申請であったため、半年以上も下りずに施主よりペナルティーを与えられ残念な結果となった。しかしながら社会全体が構造適合判定をめぐり混乱を極めた時期であった。この物件より(有)榎本設計(構造)が係ってもらう事となる。(有)榎本設計との出会いに感謝した。
2009年(H21)8月竣工
管理技術者:翁長良武
12月 エールクリエイト㈱単独事業であるワイズベルグランデアラハ基本設計に着手。エール社単独事業としての記念すべき最初の第一歩。北谷地区の西海岸を望むマンションの先駆け的物件である。このマンションにより設計依頼の問合せが多く寄せられた。
2009年(H21)12月竣工
管理技術者:桃原喜一郎
2008年(H20) 9月 とくだ歯科クリニック設計に着手。設計コンペにより選定いただいた歯科医院+住宅である。夫婦共に歯科医で8ユニット+特診エステ室を設けた大きなクリニックだ。工事中に不発弾が発見され一時騒動になったが、小型なもので大事には至らなかった。来院者への印象を良くするために、3階の住宅は生活感が漂わないように配慮し、周辺からプライバシーを確保するように建築的な工夫を施した。
2010年(H22)2月竣工
管理技術者:當間卓 担当者:山川尚 インテリア:長堂邦彦
9月 「瀬底島の家」設計に着手。本部町瀬底島の見晴らしのいい斜面にあるレストラン+住宅である。伊江島行きのフェリーが行き交う屋外テラスからの眺めは最高で、レストランを運営する若夫婦の微笑ましい姿が、風景と一体となった建物をより際立たせている。
2010年(H22)9月竣工
管理技術者:桃原喜一郎
5月 豊見城市立長嶺中学校の基本設計に着手。校舎老朽化による建て替え計画。仮設校舎を建てると約2億円掛かるため、運動場側に新校舎を建て既設校舎側を運動場とする案に決定された。いくつもの配置案を学校、PTA、地域住民の方々と議論し課題を積上げ、一つ一つ解決してきた。
2011年(H23)3月竣工
管理技術者:桃原喜一郎
10月 ワイズエステムコート潮平タワー 竣工
11月 「海辺の別荘」設計に着手。2010年(H22)4月竣工
管理技術者:當間卓 担当者:仲宗根義哉
2009年(H21) 5月 (社)那覇法人会 青年部長
8月 ベッセルホテル美浜指名設計コンペ最優秀賞
10月 ベッセルホテル美浜設計に着手
2012年(H24)3月竣工
管理技術者:當間卓  担当者:仲宗根義哉
12月 ワイズベルグランデアラハ 竣工
2010年(H22) 1月 特別養護老人ホーム那覇偕生園基本設計に着手。社会福祉法人沖縄偕生会による10室1ユニット×10ユニット・100床の特養である。安里理事長の「那覇市の待機者を減少させていきたい」という強い思いで実現した。社会福祉法人は借金は理事長個人が連帯保証人となるが、土地建物の財産は国のものと聞いている。営利企業ではないので納税義務はないが、社会貢献への覚悟は並大抵のものではない。
2011(H23)11月竣工
管理技術者:桃原喜一郎
2月 平成23年度沖縄県事業棚卸し委員(任期一年)
5月 ファイン紙の卸問屋・福山商事㈱主催、㈱PLAT企画による紙の企画展「カミガカリ展」開催。以後3年間開催し、県内外のデザイン界の評判となる。特に新たな商品パッケージを必要とする県内企業とクリエイターのマッチングは、県内の優れたデザイナー達の掘り起こしに貢献した。
プロデューサー:當間卓  ディレクター:シモジマサキ
5月 「スリットの家」設計に着手
2011年(H23)8月竣工
管理技術者:桃原喜一郎
6月 「高台の家」設計に着手。那覇市内を見渡せる眺望の良い首里高台に位置する個人住宅である。日の沈む方向にあるツインタワーマンションを目印に、サンセットの位置が変わることで季節を感じることが、竣工後の新しい発見であった。
2012年(H22)12月竣工
管理技術者:當間卓
6月 コミュニティーショップ「Yuna」オープン
沖縄の伝統文化や風土に刺激を受けた若い作家たちから生まれてきた作品を展示販売し、次の世代に繋げる場所をめざす。郊外型大型店舗が出店する中、与那原町中心市街地商店街の活性化の核になればという思いで出店した。
㈱PLATが運営主体。
  • 外観写真

7月 グループホーム伊江島基本設計に着手。社会福祉法人麗峰会が運営する地域に密着した10室1ユニットのグループホームである。本島北部にある施設はフェリーで30分という離島・伊江島にあり、特養を含む島唯一の老人関連施設を運営する麗峰会は島んちゅにとっては欠かすことのできない社会福祉法人である。
2011年(H23)6月竣工
管理技術者:當間卓 担当者:仲宗根義哉
7月 創立35周年
10月 ワイズガーデン宮里ヒルズ 竣工
2011年(H23) 1月 パスコ空間情報処理センター別館 設計コンペ当選
2月 平成24年度沖縄県事業棚卸し委員(任期一年)
5月 (一社)沖縄県法人会連合会青年連絡協議会 会長
5月 (公社)日本建築家協会(以下JIA)沖縄支部 副支部長
6月 沖縄建設新聞 論壇連載開始(6回)
6月 県立豊見城南高校普通教室・管理棟改築に着手。校舎老朽化に伴う一部改築と改装。
2014年(H26)1月竣工
管理技術者 桃原喜一郎
10月 UIA大会参加(東京)
11月 ワイズガーデン中原テラス 竣工
11月 興南高校にて進路講演
12月 与那原町旧商店街活性化事業「軽便市」立上げ
  • 軽便市

2012年(H24) 4月 ロゴマーク、名称フォントを改める。
5月 ワイズヴィラさつきヒルズ竣工
6月 沖縄県土地開発公社ビル基本設計に着手。市内を走るゆいレール沿いにあり、東に奥武山公園の緑、西に那覇軍港を望む位置にある。今回はオフィスビルということもあり、室内熱負荷の低減をテーマとして計画した。東西南面それぞれの太陽入射角と方位角のシミュレーションを行い、限られた予算の中で遮光装置を検討した。特に西面は西陽対策+公園への眺望+モノレールからの視線対策を同時に実現することが課題であった。
2014年(H26)4月竣工
管理技術者:翁長良武 主任技術者:塩谷万里子
9月 沖縄大規模基地返還跡地利用計画提案コンペ「優秀賞」受賞。
日本設計JV
  • 基地跡地利用コンペ

  • 牧港補給基地跡地利用パース

11月 JIA横浜大会に参加
12月 母校 県立豊見城高校にて進路講演
2013年(H25) 2月 琉球大学(瀬底)熱帯生物圏研究センター実験研究棟増築プロポーザル 特定
2月 ワイズガーデン小禄駅前 竣工
3月 JIA沖縄支部建築展 シンポジウムコーディネーター
5月 (公財)全国法人会総連合青年連絡協議会 副会長
  • 全国法人会総連合青連協役員

8月 宮城県南三陸町復興ボランティア活動
  • 南三陸町復興支援
    ボランティア

  • 南三陸町復興支援
    ボランティア

  • 南三陸町復興支援
    ボランティア

9月 総合葬祭会館南ホール 竣工
10月 建築士事務所協会住宅展メインセミナー講師
12月 神戸へ社員旅行 構造設計・榎本設計との交流会
  • 社員旅行(神戸)

12月 母校 県立豊見城高校にて進路講演
2014年(H26) 1月 「平成25年度沖縄建設産業グローバル推進事業」を受託し、JIA沖縄支部とのJVで第一回ベトナム・タイに視察調査のため渡航。
  • 日系企業ハノイ法人にて

  • 工場改築にむけた調査

  • タイ建築家協会副会長と

3月 JIA沖縄支部建築展 シンポジウムコーディネーター
7月 宮城県南三陸町復興ボランティア活動
  • 南三陸町復興支援
    ボランティア

  • 南三陸町復興支援
    ボランティア

7月 ワイズガーデン宇栄原テラス 竣工
8月 「平成26年度沖縄建設産業グローバル推進事業」
JIA沖縄支部とのJVで第二回ベトナム・ハノイに視察渡航
  • 工場改築へむけた調査

  • 計画案プレゼンテーション

9月 日本建築家協会(JIA)岡山大会参加 當間・崎山・比嘉
  • 直島へ向かうフェリーにて

  • 直島へ向かうフェリーにて

  • 安藤作品・地中美術館へ

  • 安藤作品・李美術館

10月 建築士事務所協会住宅展メインセミナー講師
11月 「平成26年度沖縄建設産業グローバル推進事業」
JIA沖縄支部とのJVで第三回ベトナム・ハノイ+ホーチミンに視察渡航
  • ホーチミン在の日本人設計者と

  • タイ建築家・ギア氏作品

  • ホーチミン全景・サイゴン川

12月 沖縄県総合運動公園休憩所U-40プロポーザル 比嘉裕隆佳作
2015年(H27) 3月 与那原町観光交流施設 竣工
  • 与那原観光交流施設起工式

4月 40周年記念感謝の集い開催(ホテルJALシティ那覇)
5月 ワイズヒルズコート西原 (竣工予定)
  • ワイズ西原起工式

7月 創立40周年
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