40年間支えてくださった皆様に感謝
40周年の節目を迎えるにあたり、誠に感無量の思いです。今日まで泉設計を支えて下さった関係者各位ならびに会社職員に対し、先ず感謝を申し上げたいと思います。
弊社が会社設立した1975年(S50)7月は沖縄が日本に復帰した直後で、県内でも未だ苦難な時代で厳しいスタートでありました。私が会社設立に至るまでには様々な経緯がございます。私は高等学校を卒業し1953年(S28)4月から一年余り比嘉酒造所でアルバイトし、翌1954年(S29)4月から3年、琉球政府法務局に奉仕、1957年(S32)8月より(株)大城組に入社。軍工事現場および琉球政府発注の工事現場へ5年、総務6年、企画開発5年、1973年(S48)12月退職まで16年間在職いたしました。
沖縄が日本に復帰する直前、下村設計(東京)の下村社長から「沖縄に設計事務所を開設したい」との話を受け、その準備、手続きをするよう当時在籍していた(株)大城組の大城鎌吉社長より指示があり、1972年(S47)2月17日(株)アジア建築設計開設に至りました。開設当初は共同経営という二足のわらじを履くかたちでスタートしましたが、事務所経営は困難を極め、負債を抱えました。私も共同経営者としての責任がありましたので、大城社長にその旨相談し、ご理解をいただき、1973年(S48)12月に大城組を退職。アジア建築設計に常駐勤務したのが設計事務所のスタートでした。異分野の仕事ではありましたが、所員の協力もあって、一歩一歩前進することができました。
しかし、アジア建築設計は建築の技術者がやるべきだと考えていたので、適任者を探す一方で本来目指していた土木コンサルタントを1974年(S49)6月に(株)大和建設コンサルタントとして設立し、代表取締役に就任しました。1975年(S50)5月アジア建築設計を譲り退職しました。
人生は自分の意志とは反することが起こるもので、この2年間で関わりあった仲間・所員の強い要請により、迷いはありましたが再び新たな建築設計事務所を開設することとなり、1975年(S50)7月31日、(株)泉建築設計事務所を設立。代表取締役に就任し28年間務めました。数々の難事難問もありましたが、関係各位のご支援を受け、無事会社を継続することができました。この間、沖縄県、那覇市、与那原町、豊見城村(当時)をはじめとする関係市町村およびマンションデベロッパー等々からお仕事をいただき、今日に至っております。
1986年(S61)5月に株式会社泉設計に組織改変し、2015年(H27)7月31日満40年を迎えることができ、報恩謝徳でございます。組織改変後も順風満帆であったわけではありません。とくに2000年(H12)は大変な時期でした。県内景気は一段と厳しくなり受注業務も極端に低迷。進行中の業務が中止になったこともあり、経営は厳しい事態に陥りました。このような予想もしなかった事態から抜け出すために経営革新を決意し、経費削減、増資、運転資金枠の拡大などを断行しました。また、役員および所員にも協力を呼びかけ、皆が一丸となり意見を出し合い情報交換しながら、この苦難を乗り越え、今の泉設計があります。40年を振り返りますと万感の思いです。お世話になった方々、各位に改めて感謝とお礼を申し上げます。2002年(H14)6月には次期後継者に無事引継ぐことができ、安堵いたしました。2代目になって会社経営、仕事の内容等も充実し、おかげさまで完成高も2倍強に伸びています。今後も仕事を通じ、世のため人のため、地域のために頑張る所存でおります。今後とも関係各位のご支援ご指導をお願い申し上げるとともに、皆様の更なるご発展を祈念いたします。