• TOP
  • お知らせ
  • UIA2011東京大会 第24回世界建築会議2011年9月25日〜10月1日の7日間、世界建築家連合(UIA)

UIA2011東京大会 第24回世界建築会議2011年9月25日〜10月1日の7日間、世界建築家連合(UIA)

2011東京大会第24回世界建築会議が東京国際フォーラムをメイン会場に開催されました。UIAは世界124に上る国と地域を代表し、現在その世界のおよそ140万人の建築家と、約50万人と目される学生を束ねる世界的な組織で、1948年6月28日にスイス・ローザンヌに設立されました。
現在では5大陸をつなぐ建築家の職能ネットワークである非政府組織 (NGO) に発展しています。加盟団体である日本建築家協会(JIA)は、東京で初めて開催されるこの大会を主催者の一員として3年前より準備を進めてきました。世界各地より人種、宗教、言葉を超え集まった建築家が今何が必要かということを真剣に考える機会としてとても意義のある大会でした。沖縄支部も総勢38人の参加者で大会を盛上げ、多くを学び、一人一人が自己研鑚を重ねたことと思います。
 
しかしながら、3.11東日本大震災により今年の開催は中止、延期の声が上がったのも事実です。東京大会直前の6月、シンガポールで開催されたUIA理事会で当大会のあり方について議論され、今まさに問われていること「災害を克服し、一丸となって新しい未来へ」を新たなメインテーマとして開催することが決定されました。大会の参加者は人間の安全保障に深く関わる「環境・文化・生命」について共に語り合い、そして、2050年までとそれ以降の都市・建築・生活環境の姿を検証し、様々な分野にわたる知恵と技を結集しようと呼びかけられて開幕されました。梱包アーティスト・クリストや安藤忠雄、妹島和世、槇文彦の他、世界各国より著名な建築家やブータン王国首相などの基調講演や「2011年以後の都市はどうなるのか」「これからの環境建築を考える」「自然と共存しうる技術とは何か」のテーマセッションが各国の建築家をパネラーにディスカッションが行われ、それぞれのお国事情により課題の切り口が多岐にわたる印象を受けました。その他のシンポジウム、展示会、事例発表も盛り沢山でサスティナブルな未来建築のための事例発表会、国際学生コンペ、東日本大震災復興プラン国際提案競技、ワークショップなど多くのプログラムが準備されていました。
「持続可能な未来のための建築」をテーマとした事例発表では、インドやパキスタンの災害事例が報告されインダス川の氾濫やサイクロン被害が近年では毎年のように発生するが、災害管理局の対応が悪いという行政批判の一方、被災地では女性の参画によるボランティア、コミュニティーの絆がとても重要であったということが印象的でした。日本・岩村和夫氏は「1990年以降に世界の自然災害が多く発生している。安全な環境をつくることと人間の安全保障が最も重要である。1896年と1933年に被災し高台に移住したにもかかわらず、その記憶を忘れて今回も被災した地域がある。」と報告された。
「これからの環境建築を考える」のテーマセションでは、中東アブダビで人口5万人のゼロカーボン都市をめざした再開発事例発表は、実験的でとても興味深いものでありました。日中の体感温度60℃、夜間20℃の砂漠気候のこの地域において、建物密度や車道面積と外気温の関係、屋根形状と日射量の関係を解析し道路面積の割合と主道路の地下化を導きだしました。都市換気という発想で日中の熱風を遮断し、夜間砂漠からの冷気を取込むという風向による都市計画を提案しているそうです。沖縄は基地返還により既存都市に隣接した場所で大規模な都市開発が実現する稀な地域です。環境と向き合い、気象解析を行いながら都市計画を行うことも一つの方向性であると感じました。
「自然と共存しうる技術とは何か」のテーマセッションでは、伊藤豊雄氏は東日本大震災で“絶対安全な人工環境の防潮堤と原発”という二つの神話が崩壊し、かつ双方とも人災であると語りました。近代建築は自然と人工の境界をつくることで成り立ている。その絶対的な境界を自然に近いシステムに近づけ、しなやかな境界をつくることと人と自然を結ぶ絆をつくることが重要であると結論付けました。実際に手掛けている釜石市の復興計画案を示しながら斜面の沿った住居群、海辺にマウンド状の丘陵地、防潮堤を兼ねた公共施設など具体案も説得力がありました。
居住空間は住習慣や使い勝手、効率など機能性により決まっていたものが覆され、これからは空気環境、熱環境、自然との境界性により優先順位が決定され、新たな関係性が生まれる気がしています。

お知らせ一覧へ戻る