丘の上の教会が原風景-霊泉・親川は憩いの広場に
誰もが幼いころ鮮明に記憶しているシーンがある。湾状に続く美しい砂浜とその湾に沿って連なる緑の生い茂った森々に抱かれた小さな町で育った。幼いころの遊びといえば、海岸に出て魚や貝を取りその場で食したり、冒険、肝試しと称して森に出かけ頂上をめざすのが決まりであった。
今から約40年前の話であるから建物はコンクリート造のものも少なく、木造の瓦屋根や藁葺き屋根の住宅も多く残っていた。そんな風景の中、町の中心を貫くメイン道路の軸線上の小高い丘の上に、大きな教会が建っていた。少なくとも幼いころは大きく見えた。その教会は大きな鳥が羽を広げたような形をしていて、大きなガラス面が特徴的なモダンで近代的、とにかく美しいフォルムをしていた。教会を週に2、3度訪れるたびに子供ながらに不思議な感覚を憶えたものである。
太陽の下にいる時よりも開放的であり、室内を通り抜ける風が心地よく感じる。礼拝堂から見下ろす町の全景は、森の緑と赤瓦や藁葺き屋根がうまくマッチし、雲の切れ間から射す陽光に海面がきらきらと輝く、神々しい風景であった。礼拝堂に居たからそう感じたのかもしれない。堂内は、手の跡が残る施工のレベルではあるが、それより洗練されたスケール感と張り詰めた空気が印象的だ。礼拝席には畳が敷き詰めてあり、それが様式のアンバランスという風には全く感じない。むしろ、沖縄の気候風土を取り入れながら、時の流れや様式・権威に捕われない、ユニバーサルな建築をめざした創り手の意志を感じることができる。これが初めて出会った建築・「聖クララ修道院」であり、建築の原風景である。
この修道院は、近代建築の記録と保存を目的とする世界的組織DOCOMOMO(ドコモモ)の日本100選に沖縄で唯一選ばれた。
「東御廻り(あがりうまーい)」とは、創造神「アマミキヨ」がニライカナイから渡来して住み着いたと伝えられる14聖地を巡礼する行事。首里の園比屋武御嶽から始まり、与那原町は御殿山(うどぅんやま)と親川(えーがー)の2か所、南城市に斎場御嶽、玉城グスクなど11か所がある。御殿山は、天女が舞い降りた場所として、琉球王国最高神女・聞得大君の即位儀礼には聖水の儀式、御水撫で(うびなでぃ)を行った場所である。
親川は、御水撫でや東御廻りの御用水として汲み上げられた霊泉で、御殿山に舞い降りた天女が御子を出産したときに、親川の水を産水に使ったと伝えられている王府と密着した聖地である。与那原の人々にとっても古くからの貴重な飲料水や生活用水であり、現在ではガジュマルやデイゴに囲まれた親川広場として整備され、人々の憩いの場となっている。
現在でも、生まれ育った与那原の地から多くのパワーをもらっている。